『今日はどんな風にしましょうか?』  - 2017/03

毎日綴る『何気ないこと』たち。




2017年03月31日(Fri)▲ページの先頭へ
心について。
心はある。
いや、ないって言ってる人なんて
聞いたことが無いから
そう思っている、なんてことはないよね。

心はどこにあるの?と きかれたら
頭の中?心臓?
どこなんだろうな?ってなる。
でも、誰だってまちがいなく
心は持っているはずだ。

では、
その心を使って
ぼくらはふだん、何をしているんだろう?

心を使って、
他の人の心を見ている?
他の人の心の声を聴いている?
他の人の心にふれている?
自分の心を伝えるってこともあるのかな?

けれども、心って
あんまり使っている気がしないのは何故だろう?
もし、『心』が見えたなら
いつもせわしなく動いているのかもしれないね。

ちょっとしたことにでも心をこめたいと思うけれど
心は意外と不器用、ってことないですか?

もっと心が器用になるように
心にもいいこと、何かしたほうがいいのかな?

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

いろんな人の心とふれあって生きていることが
心のフィットネスになったりしてね。


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ぼくの多読法。
ひまなとき、読書をするようになってから
怒りっぽさが
だいぶおだやかになったように感じる。

いやいや、実際おだやかになっている。
怒ることは怒るとしても
本から得た考え方や受けとめ方が
自然と脳裏をよぎる。
読めば読むほどよぎるのだ(笑)
それだけでも、じゅうぶん
人生を豊かにしてくれている。
読書は本当にいいものだと思う。

それで、
とにかく良い本をたくさん読みたいのなら、
おすすめの方法がぼくにはあったのだった。

ぼくは この読み方にしてから、
思わぬ良書に出会える機会が増えたから
ときどき誰かに話したくなってしまう。
興味のある方は是非一度やってみてもらいたい。

まず、図書館へ行って適当に10冊かりてくる。
新作のほうが読んでみたくなるかもしれないから
新刊コーナーのがいいと思う。

とりあえず10冊かりてきた、とする。
そうしたら
パラパラと10分ぐらいで全部みる。
読むんじゃなく、見る。
文章も1分ぐらいサラッと読む。
そこで、今の自分が読める本かそうでないか
イエスorノーできめる。
読める本というのは感覚的に
まるで読んでいることを忘れるくらい
すーっと頭に入ってくる本。
そうでない本は、お呼びじゃないってことで
今回はこれ以上読まない。
読みたい本がなかったら全部返したっていい。
そしたらまたかりることができる。

今日は、読めそうな本が3冊みつかった
タイトルだけ見たら、
普段、ぜったい読まないような本だったり、
読まなくても知ってるよー的な本だけど
やっぱり読んでみないとわからないものだなぁ。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月29日(Wed)▲ページの先頭へ
クルミにあうもの。
身体に良いということで
毎日少しずつ
くるみをたべている。

それでも、毎日だとあきてきて
一緒にたべると美味しいものを
探すようになった。

探していて最初に美味かったのが
たいやき だった。

食感も風味もマッチして
『くるみアンのたいやき』という
上のクラスにあがる感じだ。
なかなかいい。

そして、次に発見したのが
うまい棒 だった。
くるみのボリボリした食感と
うまい棒のサクサク感が
ハーモニーになって
くちのなかがにぎやかになる。
おすすめは「やさいサラダ味」。
くるみを食する人に
ぜひためしてもらいたい。

そして、
どうやってたべたら美味かったとか
おすすめがあったら
こっそり教えてもらえたらうれしいです。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月28日(Tue)▲ページの先頭へ
シン・ゴジラ。
期待値がどうとか
いろいろゴネながらも
なんとか
映画シン・ゴジラを見ることができました。

やっぱり面白かった。
総監督があのひとだし
なるほどそうなるか、
と うなずきながら
最後までストレスなく
いや、わくわくしながら見てしまった。

映画パシフィック・リムよりはつまらないだろうと
勝手に思っていたので
なんだか申し訳ない気持ちがしましたよ。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月27日(Mon)▲ページの先頭へ
初対面の美容師さん。
行きつけの美容室とちがう店に脚を運ぶとき、
その人はどんな気持ちで向かうのだろう?

人それぞれ、いろんな物語があるんだろうな。

まだ、行ったことのない美容室。
どんなふうに迎えられたら安心できるだろう?

きっかけさえあれば、
こんなことを考えてみたり、
空想している。

みんな最初の一回目は
どんな感じなのだろうか?
気になる。

初対面の美容師さん。
当然、自分のことはまったく知らない人だ。
もし、「おまかせで!」なんていったら
思いもよらぬ髪型になる確率のほうが高いはず
かといって、こだわりを伝えるのは難しい
どうやって話しているのかな?
話すのは案外難しいんじゃないのかな?
うちでは、ぼくから訊いたりすることもある。
希望のスタイル写真を見せてもらったら
そこから、もう少し話しを煮詰める。

それは、ぼくからみて
写真だけではわからないところ、
そして、お客様からみて
写真だけでは伝えられないところ
思うに、
一流の人は、この『煮詰めかた』が
うまいんじゃないかなぁ…。

って今日は考えていましたよ。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

煮詰める方法も いろいろあるんですね。
ぼくは、まだまだ知らないことがあるので
もっと磨かないと一流には遠いかなぁ。

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2017年03月26日(Sun)▲ページの先頭へ
良い予感がする毎日を送りたい。
人が
何か運命的なつながりを気にしているとき
だいたい、
良い予感がしているものじゃぁないかな?
逆に
つながりの中でも、
人間的に面倒くさいところを
気にしているときは
悪い予感しかしないことが多いような気がする。

まぁ、ぼくの気のせいってこともありますね。

どうせ生きるのなら
毎日良い予感をもって生きてゆけたら
ステキなことだけれども
もしかして、毎日出会うすべての人に
運命的なつながりを探しながら生きていたら
それは幸福で豊かな生き方になるんじゃないかと
ふと思いました。

とくに家族は、慣れてしまっていて
運命的なつながりが一番濃いにもかかわらず
面倒くさいところが気になりがちです。
うちの場合ですけどね。
そこから、少しずつ見直してみようかな。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月25日(Sat)▲ページの先頭へ
根っこがあるんだよ。
どうも、物には
植物のように『根っこ』があるようだ。

いったん床に置いてしまうと
根がはって
かたづけることがおっくうになる。
実際には物に根があるのじゃなくて
自分の心にあるのだけれども、

食べたあとの食器でも
汚れをふやかすために
しばらく置いてあとから洗おうとすると
食器の山になりがちだ。

これは、きっと
置いている間に
汚れた食器から根っこが生えて
流し台にくっついているからにちがいない。

ぼくは最近そうイメージするようにして
食後には食器をさらっと洗い
乾燥棚におくようにした。
すると、
いつもスッキリかたづくようになった。

どのようにしたら その意味を理解して
腑に落ちてできるようになるか?は
人によってちがうから
近藤 麻理恵先生のかたづけ本を読むだけで
できちゃう人もいるけれど

かたづけ本を何回も読んでいながら
まったく進歩しなかったぼくでも
流し台や床に置いたものに『根っこ』が生えると
イメージするだけでできてしまう場合もある。

いや、ほんとうに不思議。

ためしに飲み干したペットボトルを
床に置いたままにしてみてください。
『根っこ』が生えて
片付けるのがおっくうになるかもしれませんよ。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月24日(Fri)▲ページの先頭へ
ゴジラに罪はないんだよ。
映画『シン・ゴジラ』を見ようかどうしようか
迷っている。
別に迷うほどのことでもなさそうだけど。

特撮技術も物語の内容も
今のゴジラのほうが良いにきまってる。

これに異論はない。

でも、なんだろう?

ゴジラ対キングギドラとか

大昔のゴジラでわくわくしていた
あの感じはなくなっている。

もうゴジラが本当にいるとは思えない
年齢になってしまったからだろうか。

あるいは
その後、映像的にもっとすごい
いろんな映画を見たことで
目が肥えてしまったのか。

もう、蛇口をひねれば映画がでてくる。
ってくらいに
DVDでもネットでも映画がみれるし
そもそも映画自体に
あんまりわくわくしなくなったっていうのもある

いずれにしてもゴジラに罪はないんだよ。
そのちがいがどのくらいのものか
わからないなら、
映画「ニューシネマ・パラダイス」でも
みたらわかるかな。

街中のいたるところに
見たい映画のポスターが立てかけられると
公開されるその日まで
もう、たのしみで楽しみでしかたがなかった。

むかしはDVDどころかビデオすらなかったし
今とは『ありがたみ』がちがっていたんだと思う。

映画やゲームを
昔のフィルターに透かしてみたら、
ありがたみのうすいモノであふれた世界
ってことになりはしないだろうか?と
ふと思ったのだけど
どうだろうなぁ。

ちがうのは、見る前の期待値だけなのかなぁ?
それだけでこんなにちがうのかなぁ…。
怖ぇぇー、期待値って怖ぇぇー (笑)

たしかに予感って重要かもしれない。
幽霊なんて予感がするだけで
あんなに怖いんだものね。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

『楽しみ』って言葉の中身は
ほとんど予感なのかもしれないね。

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2017年03月23日(Thu)▲ページの先頭へ
幸福vs不幸
絶対に幸せになれる本と
絶対、不幸にならない本があったら
まず、どちらを手に取るだろう?

ちょっと迷ったけれど、
幸せなんてものは 一過性のものだ。
ずっとつづく幸せなんて聞いたことがないし、
どちらかと言われれば
不幸にならない方法のほうが知りたい
とぼくは思う。

あー、でも 続かなくったって
また幸せになったら良いわけで
だったらどちらでもいいかー、なんて
思いなおしたりして、

いやいや、
そもそも、はじめで迷ったから負けだったんだな。
迷ったらだめなんじゃないかな?
しあわせ的には。

いま、無選択の幸福ついて考えています。
言いかえると、『選ばない豊かさ』ですかね
これも、ぼくがさがしている
あらゆる豊かさのなかのひとつです。

優れた解釈によって
向かってくるすべてを受け入れるとするなら
選択に必要なコストがかからない。
それだけで、ある豊かさにおいて、
選択しなければならないルールで生きるより
コスト勝ちできる。
なにせ選ばないんですから、
ある意味、究極。
コスパ最強です。

ぼくなりに勝手な解釈をするなら、
選ばないということは
選ばれていることに気づいているということです。

要するに『選ばれし者』な訳ですよ。
かっこいい〜
ちがうかもしれないけれど
解釈は いろいろあっていいと思います。

でも、求めない生きかたで、
どうやって幸せになるんでしょうねぇ…。
あぁ、求められるからね!なるほどねー(笑)

じゃぁ、選ばない豊かさを謳歌するためには
どうしたらいいのでしょう?
求められるような何かを磨けばいいのかなぁ…。
何もしなくていいのか…。
意外とむずかしい。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月22日(Wed)▲ページの先頭へ
トマス・ピンチョンをよむ。


トマス・ピンチョンの
『ヴァインランド』を今から読みます。

ぼくは また読む前に書評(?)を書いている。
どんだけ気が早い性格なのだろうか

読んでしまうと
意識は次のことに向いているからなのか
どうなのかわからないけれども

以前に読んだ
トマス・ピンチョンの
競売ナンバー49の叫びは
半分くらい読んだところで
登場人物も、そして出来事も
あまり、ひきつけられないなぁって
思ってやめました。

まぁ、好みの問題だと思いますが
何ら ひきつけられることもなく
このまま あと半分読まなければならないのかと
思うとけっこう重荷〜(笑)

そう、
『ひきつけられる』って大事ですよね。
今作はどうなんでしょうか
ひきつけられたいなぁー

最近そういう小説読んでないから。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月21日(Tue)▲ページの先頭へ
どうか裁かないで。
とかく世の中が
すぐに裁いてしまう傾向になったのは
おそらく、
みんなが注意してみておきたい情報の量が
増えたからじゃぁないのかな?

時間がないときには
うまくいっていない自分自身にさえ
速攻で裁いてしまいそうで
なんだか窮屈に感じたりもします。

あたたかく見守ることの大事さって
なんだろうなぁ…。
一度の失敗であきらめたり、
こころを折られていたら、
大きなことは何もはかどらないよねぇ。

ゲームにだってコンティニューはある。
もし 失敗するたびにちがうゲームに変えられたら
スーパープレイは生まれないだろうね。

要するに
まちがいはまちがいなんだけど
それをやめて他でやりなおすのは
そのままやるよりも
メチャクチャコストがかかるよね。
そのための微調整なんじゃないのかな。

微調整をゆるさない社会に
大きな成長はないでしょう。
どこかの魚市場や学園をみていると
そんな気がしなくもありません。

ぼくだって見習いのころから
いっぱい失敗して
そこから猛烈に微調整しながら
生きていますよ。
いまも、毎日が微調整の連続ですよ。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

ゲームだと、何度も失敗して上達したら
残機が増えたりするね。
友達にあげたりもしたよ。

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2017年03月20日(Mon)▲ページの先頭へ
思考リレー。
何気ない日常を
うまく言葉で切り取れるようになれたら
こうして毎日書くことも
もっと楽しくなるかもしれない。

ただ、書いている内容に
特別な意味はないと思っている。

たとえば
なにかメッセージのようなことを書いても
こういうふうに受け取ってもらいたい、
というような気持ちは持てなくなった。

たぶん、
読んでいる人は
それぞれちがった解釈をしているから、
解釈を終えたそのときに
書いたことはそれぞれの意味をもつはず。

ぼくが 考える、そして書く。
誰かが 読んで、そして解釈する。

いつの間にか僕から誰かに
思考リレーのバトンは渡されていて
それぞれにちがったゴールへ向かっている。

そして、その解釈も
すぐに湧き出る感情的な解釈と
ゆっくり組み立てられる
豊かな解釈の2つと、
眠かったり、疲れていたりで
ただ目を通しただけ、というのも
あるんじゃないのかな。

そんななかで思うのは、

どんなことでも、
まずは言葉にして発しないと始まらない。

この世界には
そういうところがあると思うのですよ。

だから、書くことに意味はない といいつつも
ちがうところに意味があったりするんですね。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。



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2017年03月19日(Sun)▲ページの先頭へ
英語をはなしたい。
いつか使うことがあるかもしれないし
英語を勉強したい。
けれども、すぐに使うという訳でもない。

そのぐらいの気持ちで英語を覚えています。
要するに ゆる〜く。

そんなぼくの
ゆる〜い英語の勉強法を紹介します。

英語を覚えるときに
文字から覚えるのは効率が悪いと思いませんか?

思い出してみてください。
日本語を覚えるとき
文字は使いませんでしたよ。
お父さん、お母さん
日本語を話す人たちと楽しくふれあっていたら
自然と覚えていました。
いいや、誰しも母国語を覚えるときに
文字を使っていなかったと思いますよ。

それから、よその土地へ引っ越すときに
方言をいちいち本で勉強したりしなくても
いつのまにかマスターしていました。

ぼくの経験では
その土地の人たちと楽しくふれあっていたら
自然と覚えていました。

ようするに、
英語を話す人たちと楽しくふれあっていたらいい
ってことですよね。

だから、ぼくは英語の勉強に
本をつかわないことにしました。

かといって、海外に住むわけにもいかないので
もっぱら、映画を字幕なしでみて
気に入った台詞をマネして遊んでいます。
この方法は楽しいですよー
一流の俳優さんの演技をマネするわけだから
お手本の感情表現は完璧だし、
ブラッド・ピットやトム・クルーズが
英語の先生だなんて、
ちょっとステキじゃないですか?

毎日、映画をたくさん楽しめる
これもメリットですね。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

これなら勉強している感じがしないし、
続けられますよ。



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2017年03月18日(Sat)▲ページの先頭へ
時間の感じかた。
今年にはいって、
とくに災難に見舞われることもなかったから

「やぁ、もう春か〜
 はやかったなぁ」

と、思ったけれど、

災難つづきだった昨年のいまごろはというと、

「ふぅー、やっと春か
 長かったなぁー。」

という気持ちだった。

昨年は新年早々、車に轢かれて
3ヶ月リハビリにかよった。
その6ヶ月後にも また車に轢かれた。
よほどついてなかったらしい。
交通事故の被害に2度も見舞われて
結局、一年のほとんどを
腰痛と坐骨神経痛ですごしたっけ…。
さらに、
運転免許も失効していて
あらためて教習所へかよって
免許をとりなおしたり、と
ほんとうに長い一年だった。

そのせいもあって
今年は時間の経つ感覚が
すごく軽くなったような気がする。

病院の中ですごす一時間と
自分の部屋で何気なくすごす一時間は
どこがどのくらいちがうのか…?

つらい時間のほうが長い。
どうかんがえても そうだろうと思う。

腰痛のときの、
痛みにこらえて悶々と家ですごす時間は
とても長く感じたし、
リハビリの電気治療は気持ちが良いけれど
毎回あっという間におわった。

なにか自分で
時間の感じかたを変える方法はないものだろうか
いや、もしもこれが試練なら
うけいれたほうがいいのかもしれないけれど。

つらいめにあって、時間が長く感じているときは
たいてい、自分と向き合っている。
ひょっとしたら、
これって ありがたいことなのかも。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月17日(Fri)▲ページの先頭へ
次に自動化されるもの。
うちの車は まだだけど、
近い将来、
ほとんどのくるまが自動運転になることは
まちがいなさそうだ。

そこで、
ちょっと飛躍しすぎかもしれないけれども
次は何が自動化されるか考えてみたくなった。

人工知能が進歩したことで
自動化がなされたのなら、
他の分野に転用されるのは
案外、はやいかもしれない。

さて、何が自動化されると
人々は豊かになるだろう?

ぼくは、役所のような公共システムが
完全に自動化されたら
いいんじゃないかと思っている。

選挙とか一般的なお役所仕事に
自動化がなされると
職員は
ほぼオペレーターだけになる。
これがどういうことかというと

職員が事務仕事から解放されれば
もっと地域を活性化することに
心血をそそげるんじゃないだろうか
ということと、
汚職が減って
活性化がなされるんじゃないかと
ということ、
なにせ コンピューターが汚職する可能性は
ゼロですからねぇ
わるくないでしょ?

無人の市役所があたりまえの時代。
なんて、くるのかなぁ…。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月16日(Thu)▲ページの先頭へ
共通の文化
今の時代に、共通の文化といえるものって
なにがあるだろう?って
ぼんやり考えていました。

相撲?サッカーは見るけれど…
ドラゴンボール?ワンピースは見るけれど…
という感じで
歌手も 映画も スポーツも
ふと見渡すと
何から何までこんな感じになっていて
いっしょにどうですかと言ったとしても
趣味が合わない可能性が
どんどん高まってきています。

昔からある共通の文化をみんなで楽しむ
ということ自体がオワコンに近づいている。
あわわ。
どうなんだろう、
本当にそうなのかな。

楽しみというものが多様化するのは
自然なことで、ありがたくもあるけれど
共通の文化は
『あらゆる豊かさ』の一つでしょう。

もう少ししたらお花見とか
いいですよね。
食べる人、飲む人、歌う人、眺める人、
いろんな楽しみかたはあるだろうけれども
みんないっしょになって
お花見を楽しんでいる。

むかしはこういう感じの豊かさが
いろいろあったんでしょうね。
あれ?
便利さと引き換えに豊かさを失ったのか?
そういう訳でもないでしょう。

ま、無ければ創造すればいい話しですよね。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月15日(Wed)▲ページの先頭へ
ピーナツ。
ピーナツが好きで
わりとよく食べる。

食べつつ生産国をみると
ほぼ、中国産と書いてある。
ピーナツの原産地といえば
国産もあるけれど
延岡で売っているのはたいてい中国産
『原産国 中国』とだけ書いてあると
イメージ的にものたりないと思ったのか
最近はどのピーナツの袋にも
気を利かせて良いところを書いてあったりする。

『中国山東省伝統の大粒落花生を使用した
 粒ぞろいで風味豊かな…』
そう書かれていると
こまかい情報が伝わって
美味しいものにみえてくるから不思議だ。

意味が伝わらないと
真逆の意味にとられることだってあるから
表現って大事だなって思った。

そういえば美容室でも
○○パーマだとか、△△ヘアカラーだとか
直感的に意味が伝わるような
名前にしていたりする。

伝わらないと意味がないのだから
表現しないと損なのかもしれない。
たとえば、

『フランス仕込みの職人から教わって
 朝晩、3年間仕込みから訓練して
 ようやくみにつけた仕事』
とか
本当のことなら、ちゃんと書いたほうが
仕事に味がでそうだ。

はじめたばかりの新人でも
『かけだしの私が、
 毎朝youtube見ておぼえた仕事』
とか表現されると応援したくなるかもしれないね。

表現っていうのも、
一回最初から覚えてみたくなります。
でも、最初ってどこだろうなぁ…。
どこから覚えたらいいんだろう。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月14日(Tue)▲ページの先頭へ
読んでいて思うこと
自分自身からわきおこる
さまざまな心にも、
そしてお金にもふりまわされないで
生きてゆけたら
人は幸福になれるんじゃないかと
思っているのは
ぼくだけじゃぁないでしょう。

いま、本屋へいくと 教科書以外で
心理学や経済学をあつかった本が
たくさんおいてありますが
本からえた知識だけじゃダメですねー
ぼくの場合、なかなかうまくいきません
何年か実践で磨いて
ようやく使える感じになるように
なるんでしょうか。
でも、そういう本が
それだけ多くの人に読まれているのなら、
ひょっとしたら、この国は
小さなエコノミストや
小さなサイコロジストが
たくさんいるのかもしれませんし、
そのうちすばらしい国に化けるかもしれませんね。

経済学が
単純にお金をもうけるための学問じゃなくて
商売をつうじて人が成長して、街が成長して
社会が成長する
それを後押ししてくれている、というのは
ありがたいことだなと
本をよみながらすこし思いましたよ。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。


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2017年03月13日(Mon)▲ページの先頭へ
たりないもの。
いまの延岡にたりないものはなんだろうと
ぼんやり考えていました。

パッと浮かんだのは
若い人たちが
ちいさくても起業して、
自分をためすような場所が
あんまりないところ。

むかしから 
それほどなかったのかもしれませんが
もっと活かせる場所があったらいいのにって
思います。
以前は ほら
ちいさな商店街があって
そこそこ活気があったでしょう?

今という時代はなんでもあって
たりているからかな?
移民がドカーッとおしよせて
テロやら暴動やらで
国じゅうがぐちゃぐちゃになったら
また、なにか
たりないものが見えたりするのかな?

そうなるまえに考えたいよね。
『たりないもの』のこと
まだ、見えていないものを考えるのって
結構むずかしいけれども。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月12日(Sun)▲ページの先頭へ
孤独の反対語(2)
孤独の反対語について書くのは
これで2回目です。
(孤独の反対語(1)は→こちら

というのも、
新たにエントリーしたい言葉が
あらわれました。

それは、

『お世話』
です。

前回の『ぬくもり』は抽象的すぎて
実際には何をしたらいいのか
ピンとこなかったけれども、
『お世話』なら普段からなにかしら
していたり、されていたりしますよね。

でも、どうして『お世話』なのかといいますと
ここは美容室ですから
いろんなお客様がお見えになり
時間もあるので いろんな話しを
言ったり訊いたりします。

その中でも、
「子の世話でいそがしい」
「孫の世話でいそがしい」というかたは
たいてい、
少しばかり、ひとりの時間を望んでおられます。
お世話でお疲れなのでしょう。
しかし、孤独とは無縁の日常です。

考えてみると、お世話というのは
見知らぬ人に すれ違いさまにできるものではありません。
ある程度 深いご縁でつながっていないと
できないものですよ。

それで、
「誰かのお世話をすることで
 人は孤独ではなくなるのだな」と
あらためて思いました。

家族のお世話は大変かもしれませんが
無理なときは 
それこそ誰かのお世話をかりて
そして余力があるときは
困っている誰かをお世話する。

これも人が作り出せる豊かさかもしれませんね。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

お世話のあるところにご縁はあります。


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2017年03月11日(Sat)▲ページの先頭へ
白髪の解釈
ふと白髪について
思ったことがあります。

白髪は一般的には加齢ですよね。

時間はみんな平等に経過してゆくけれども
誰だって歳を重ねると
あまり気にしたくなくなるものでしょう。

「ぁ〜もう30歳かぁー」

「ぁーもう40歳かぁー」

「えっ、もう50歳?」

「あれっ?何歳だっけ?」

みたいなことになると思うんですよね
想像ですけど。

そういう自分に唯一、
現実をつきつけてくれる 神からさずかった能力
じゃないのかなと考えてみています。

そんな大事なものが、
いちばん人から見える場所にあるというのも
なにか意味があるような気が
しなくもありません。

なんだか、白髪ってすげー

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。


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2017年03月10日(Fri)▲ページの先頭へ
一生懸命という不思議
ひとりで美容室ということを
10年ぐらいやってきて
最近になって気づいたのは、
ぼくの場合は
『一生懸命のちょっと手前ぐらい』
いちばん良い結果がだせているところ。
ふりかえってみると
とくに前半は一生懸命やりすぎて
からまわり、というか
失敗していることが多かったように思います。

お客様に少しでも
気に入っていただこうと
やりすぎてしまったことが
短期的にはよろしくなかったなと
今は深く反省するばかりです。

でも、おかげでたくさんの学びがありました。
今になってみると、
あのとき、学ばせてもらえて本当に良かったなと
思えるところもたくさんあって、
長期的には正解だったようにも思います。
来なくなってしまったお客様には
感謝のしようもありませんが
いまでもずっと感謝しています。

だから、一生懸命という言葉の意味が
ぼくの中で少しかわりました。

今は
「やばい、オレいま一生懸命じゃん、
 からまわりしないように少しセーブしよう」
こんなふうになりました。

なんでもかんでも
最大出力が良い結果をだすとは
限りませんものね。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

100点満点は、ねらいすぎるとダメですね。
練習のときなら
気づくことも多いので良い感じです。

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2017年03月09日(Thu)▲ページの先頭へ
あらゆる豊かさ
うすうす気づいていたけれど、
『豊かさ』って一つじゃないよね

収入が多くてお金に困らない
何でも買えるような豊かさもあれば、

お金なんかほとんどなくても
好きなことばかりできて
退屈しない豊かさもある。

心安らぐ家族や友人、
動物とすごせる時間がたっぷりという
豊かさもある。

貧しくて、
いつも誰かと支えあっていないと
生きていられないのも、
ひょっとしたら豊かさなのかもしれないね

もし、あらゆる豊かさを理解して
ここから先の人生にのぞめば
ずーっと豊かに
生きてゆけるんじゃないのかなぁ

だったら、『誰かとおなじ豊かさ』なんてものは
いちばん価値の低いものかもしれないよ。
だっていろんな豊かさがあるんだから。
わざわざおなじものにしなくていいでしょ?
まぁ、たくさんあれば の話しだけれども

どのくらいあるんだろうなー
100個ぐらいあったらいいねぇ。

よし!きめた。
あらゆる豊かさをさがす旅にでようかな。

とりあえず、のべおかの
図書館なら、なにかあるかもしれない。
どんな豊かさがみつかるかな〜

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月08日(Wed)▲ページの先頭へ
微調整と寛容。
きょう、ふと思ったのは
微調整の大切さについて。

たとえば、くるまの運転で
おもいきりハンドルを切って
曲がったとしても、そこには木が生えていたり、
道がなかったり、ころんで怪我したり、
結局、
慎重に微調整しながら運転しているほうが
大怪我少ないぶんだけ
よかったりするんじゃないのかな?
ってことはある。

人間関係だって、
気に入らないからってブツっと切ってしまうよりも
微調整をくりかえしながら続けていって
絆の糸をたくさん増やしたほうが
精神的により豊かに生きてゆける気がする。
でも、
簡単そうでむずかしい。
ついつい、感情が大きく反応してしまったり、
相手の悪いところが気になって
ゆるせなくなってしまったりするからね。
寛容であることは難しい。

寛容って言葉を辞書でしらべたら
『心が寛大で、よく人を受けいれること。
 過失をとがめだてせず、人を許すこと。』
とあるけれど、
ものごとを受け入れるってことは
野球でいうと
ピッチャーの投げる球をとるってことだから
うまく受け止めるようになるには
相手の性質がわかるまで
何度も何度も失敗して覚えなくちゃいけない。
だから、
この言葉のほんとう意味は
『お互いが何度失敗しても、
 いつかよくなることを信じてあきらめない。』

ってことじゃないのかな?
って解釈してみました。

まぁ、野球のことはあまり知らないんだけれども(笑)

受け止めるって、やっぱり簡単じゃないなぁ。
それなりに覚悟のいることですね。
でも、微調整にはお互いに寛容さがないと
どうしてもうまくいかないような気がします。
寛容さが失われた社会を想像すると怖いですよ。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

受け止めることを避けていたら
微調整なんてできない、ってことでもありますね。

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2017年03月07日(Tue)▲ページの先頭へ
言えば伝わる。の呪縛
人間がどうしてもつかまってしまう
いくつかの思い込みのなかに
『言えばうまいこと伝わる。』というのがある。

たしかに、
言わなければ伝わらないように思えるけれど
どうだろう?
たしかに伝わりはするが
『うまいこと』ではないかもしれない。
食後の皿を洗わない家族に
言っただけで洗ってくれるだろうか
そのほかにも、
服をぬぎちらかしたりしない、だとか
用のない明かりは消す、だとか
使ったら決まった場所にもどしておく、だとか
言ったら、守ってくれているだろうか?
なかには、お金やゲームを貸して約束したのに
返してくれなかったりってこともある。
ひとは案外、言っただけではきいてくれないものだ。

毎回言っているにもかかわらず、
言うことをきいてもらえなくて
怒ったり、欲求不満になっている人、
これは、つまり
『言えばわかる。』の呪縛に
つかまっているからかな?と
ぼくは今、考えてみている。

思ったのは、
言われたことを腑に落として『きめる』のは相手だということ。
だから、そのことをふまえれば
なにかいい方法があるかもしれない。

あえて、
ぼくなりの解釈を言わせてもらうなら
『言えば伝わる』は今までの常識で
『言っただけで伝わるものではない』が新しい常識
それなら、言ってもできないのなら
なにかできない原因があるはずだから、
いちいち怒らずに、
かわりにできることなら自分がやってあげたら
そうしたら、そのうち人にたのまなくても
苦にならなくなるかもしれないし、
相手が成長して
やってくれるようになるかもしれない。
あるいは、かわりになにかをしてくれるでしょう。
どうでしょうか?
これも、うまく伝わらないかな?(笑)
ぼくは、あてはまることが多かったです。

日常的な他愛のないことでも
じっくり考えてみると、
意外とややこしかったりしますが
ここから なにか腑に落ちることが
みつかるといいですね。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

犬ちゃんや猫ちゃんは
言わないのに伝わるよね。
あれはなんだろうね。
目かな?・・雰囲気かな?

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2017年03月06日(Mon)▲ページの先頭へ
しないこと。
ふと思ったのだけど、

(今まで続けていた何かを)
”しないこと”というのは
なにかをすることと同じことなんじゃないのかな?

なぜかというと、
冬場さむくなってからは
ぼくは季節が暖かくなるまで
サイクリングを”しないこと”にしました。
すると、
他にうちこめるものが仕事しかなかったので
いままで自転車にあてていた時間も
仕事に当てたんです。

するとどうなったのか、というと、、

毎日自転車で山のぼりしていたエネルギーが
美容のやりこみにそそがれて
いろんなことが
はかどる、はかどる。
なかなかいい化学変化がおきました。

自転車で山をのぼるのは
ものすごく体力をつかいます。
そして、
美容にかぎらずファッションというものは
やりこみ要素がものすごくあります。

ここで、ちょうどいい価値の交換
できたのかもしれませんね。

それで、”しないこと”は
することよりも大事かもって
思ったわけです。

したくても、な〜んか やる気がでないとき、
”しないこと”からはじめても
いいかもしれませんよ。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

なにかをしないと決めるのも、なかなか勇気いる。
でも、それこそが本当のスタートなのかも。

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2017年03月05日(Sun)▲ページの先頭へ
いいもの。
・いいものは、いい。
あたりまえかもしれないけどね
でも、それが もし、
いいもの でも
同じものがたくさんありすぎたら どうだろう?
『ありがたみ』がうすくなったりしないかな?

そもそも
『ありがたみ』ってなんなんだろうな?
どんなに いいものでも、
ワゴンで売られるほどたくさんあったら
つまらないものになってしまうこともあるよね。
その品物自体はなにも変わっていないし、
もしかしたら、
もっとがんばっているかもしれないのに
ふしぎだね。

いいものって
どうして いいものだって思うのだろうね。

たいしたものをもっていないぼくからしたら、
これだけ 市場に
たくさんのものや情報があると
いいものだけどありがたくないものや
いいものじゃないけれどありがたいもの
なんていう、
ややこしいものまであるんだろうなぁって
想像してしまう。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

ありがたみは、しあわせでもあるね。

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2017年03月04日(Sat)▲ページの先頭へ
心地よさの試練
髪をあーして、こーして
おうちで思ったヘアスタイルを作るのは
すごくたいへんなときもあるけれど
なんでしょうね、あの
うまくできたときの気持ちのよさ。
だれかにみせたくなる気分。
鏡のまえのじぶんが
ようやく本当のじぶんになったような感じ。
髪で苦労することは多いけれども、
すべては”人としていきる心地よさ”
考えるための試練かもしれん。

ぼくはそれを仕事にしてしまった。
だから、お客様のぶんも
あーして、こーして考える。
それが すごく大変なときもある。
でも、それだけ
うまくできたときの気持ちよさも
いただいているんですよねー。

ほんとうにありがたい。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

気がつけば、毎日書くようになっていますね。ここ

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2017年03月03日(Fri)▲ページの先頭へ
地震
昨日、大きな地震があったとき。

「とうとう、アレがきたか・・・」

地震がくるたびにそう思っているけれど
こないものですね。
それでも震度4でゆれたゆれた。

目の前の倒れそうな本棚を
あわてておさえながら
もし、家から脱出するなら
何をもっていこうか考えた。

部屋をみわたすと本と服があるばかり
わりとどうでもいいものだ。
これなら、
無理してなにかを持ち出さなくても
少しでも早く非難したほうがよさそうだ。

貴重品は自分だけ。

でも、まぁ
考えようだけど
じぶんがいちばん貴重だよね。

生きていれば なにかやりようがあるもの。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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2017年03月02日(Thu)▲ページの先頭へ
ぐーぐー
15年くらいまえ、
お店のなまえをどうするか
考えていた時期がありました。
それまでも
ずっと母がひとりで営業していた美容室なので
新しくする必要があったのかどうか
いま考えてみると 
どうでもよかったのかもなぁ、って
思いますがそのときは
なんとなく気になったのでしょう。

はじめは
『ビューティーサロンひらかわ』でした。
いかにも
母がひとりで営業していそうな感じの名前です。

そこから いろいろ考えて、
これからは、美容室とか、
ビューティーサロンとかを名前にいれなくても
いいかもしれないね。という話しをして、
じゃあ、、という感じで
『へあー・ぐーぐー』になりました。
なるべく覚えやすく、というのが理由だったと思います。

けれども、いまになってみると
その『へあー』も
別につけなくてもいいような気がしています。

なんとなく、なくても困らないような。
もう、
『ぐーぐー』
でいいんじゃないのかな。
それだけでは、なにをやっているお店なのか
わからないかもしれない。

ストパーとエクステ
『ぐーぐー』

なんとなく、
これがしっくりきました。
なぜかというと、
ストパーとエクステがいちばん自分流なのですよ。
ここにしかない技術や工夫がたくさんあると思います。
その中でもエクステは すごい進化の途中です。

カットもパーマもカラーもするけれど、
あえて、このなまえ。

「ここへ来て、よかった〜」と
思ってもらえるように
これからも、地道に歩みます。

今日も、ここへ来てくださって ありがとうございます。

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カレンダ
2017年3月
     
 

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